事件の背景

この作品の背景に、日本が敗戦後、米軍の占領下にあった時期に、米兵(小説中では「GI」とも表記)相手に売春行為をしていた女性(小説中では「パンパン」とも表記されています)らの存在がある。彼女らが自らの忌まわしい過去を隠そうとする必死の感情が、作品中で重要な意味を持ってくる。原作が書かれた当時は現在よりも女性の社会的地位が低く、過去に少しでも汚点があると偏見にさらされて就職に差し障るばかりでなく、婚約を破棄されたり一方的に離婚させられたりしてしまうケースが少なくなかった時代である。

小説の時代設定は終戦から13年後とされている。女性が相手のことをよく知らないまま見合い結婚することは、当時はありふれていた。本作発表当時の恋愛結婚の割合は4割に満たず、見合い結婚との構成比が逆転するのは、1960年代半ばを過ぎてからのことである。

上石神井と光文社

本作品の構想に関しては、当時上石神井に住んでいた松本清張が、作品執筆の合間に近くの食堂へ出かけた際、立川の米軍基地の売春婦と思しき女性に出会い、彼女たちはその後どうしただろうか?と思いをめぐらしたところから、アイデアを膨らませていったとされている。

当時『宝石』の編集長を務めていた江戸川乱歩は、本作の同誌連載に至る経緯を、連載開始された1958年3月号の編集後記で、以下のように記している。「松本清張さんの長篇連載がいよいよ始まる。(中略)松本さんは本誌にはいいかげんなものは書きたくないという気持ちから、なかなか想が纏まらなかった。そこへ『太陽』の休刊で、まだはじまったばかりの長篇が中絶するということを聞いたので、これを本誌に引きつぐようお願いして、成功したのである」。

連載の出足は順調だったものの、回を重ねるに連れて原稿の枚数が減っていった。1958年7月号では休載する事態となったが、代わりに同号では、乱歩と松本清張の対談「これからの探偵小説」が掲載された。続く8月号でも本作は休載となり、乱歩は同号の編集後記で「作者も辛いが編集者もつらいのである。今は両者ともただ無言」と記していた。1959年1月号は、現地取材の時間がなかったことを理由に、3回目の休載となり、この時は、のお詫びの弁と共に「創作ノート」が掲載されたという。

そののち、鮎川哲也の長編作品の連載が、同誌の1959年7月号から始まったが、この作品と本作のプロットが同じになるのではないかと、松本清張と鮎川の双方が気づき、本作は1959年8月号で連載を1月分中断、プロットの再構築を経て、1959年12月号の鮎川方の完結から1ヶ月遅れの1960年1月号で、無事完結という壮絶な背景があったというエピソードも。

光文社は「カッパ・ノベルス」創刊の作品として本作を予定し、発行日も決められていたのだが、スケジュールが予定通り進んでいなかったため、光文社が『宝石』編集部を飛び越え、直接、松本清張に接触し執筆を促す一幕、があったとか。

加賀屋

本作の取材にあたって松本清張は、石川県七尾市にある和倉温泉に滞在した話は有名である。宿泊旅館は「加賀屋」。松本清張と旅館の交流はその後も続き、映画『疑惑』のロケ見学の際にも滞在し、現在も松本清張ファンが訪れる名所として経営されている。

さて、作品中において、主人公が断崖に立つシーンが描かれていますが、小説では、断崖は志賀町の赤住にあるとされている。しかし実際の赤住は平坦な地形で、海に転落するような断崖は存在しない。この件に関しては、現在「赤住」と同じ志賀町内にあり、実際に断崖のある「赤崎」と、著者が勘違いをしていたのではないかとの推測も実しやかに飛び交っているのである。

1978年の時点で、松本清張は、自作の推理長編で好きな作品の第一に本作を挙げており、自分も一番好きな作品であると断言します!