何も知らないまま巡り合った女性

ではここからは個人的な意見と共に、ゼロの焦点の主要登場人物について個人的な考察を加えて話を進めて行きたいと思います。あくまで私個人の意見となっているので、共感できる人・いない人がいると思うので、ご了承くださいませ。ではまず始めに話をしていく登場人物をピックアップするのは、色々残念な感じで物語の主人公として活躍することになる『鵜原禎子』について話をしていきましょう。先ほども少し話をしましたが、どちらの作品も禎子を主軸として考えていますが2009年版においては何故か佐知子が主人公格として躍り出ているところが異なる点ですね、ではそんな鵜原禎子という登場人物を1961年作品と2009年作品に分けて話を進めていきましょう。

1961年作品の場合

ではまずは一番最初に映像化された1961年作品から考察してみると、こちらにおいては禎子は原作に忠実な登場人物となっているといえるでしょう。そして物語の主軸年展開していくことになりますが、決まっていることとしては何処にでもいそうな女性が事件を解決していくというとんでもストーリーとなっています。それだけの知能を持っているのであればもっと違う職業につけばいいのでは、と思いたくなりますね。でも舞台となっている時代背景の事を考えると女性一人が生きていくためにはまだまだ社会的な目線で考えたら到底生きていくことが出来ない世界だった事は確かです、そんな時代の中ではある意味模範的な女性像を描いているのがこの禎子でしょう。夫の帰りを待って自宅を守っている昭和初期の女性の姿そのものでしょう。この姿を今の若い女性たちは憧れた姿としてあげていたりもしますが、どこに惹かれるというのでしょう。単純に働かないで自宅にて家事をすることに従事していれば良いというところに魅力を感じるのかもしれませんが、そんなご大層な身分でいられるような人はほとんどいないでしょう。

現代の若者は昭和時代の主婦の姿にこそ理想というものを重ねている人もいますが、そういう意味ではこの禎子のような人妻像は現代においてはある意味理想的なものなのかもしれません。ただしこの時代では現代でもありますが、基本的にお見合い結婚をすることが常識的に行われていました。もちろん中には恋愛結婚をした人もいるでしょうが、大体戦後から60年代後期ぐらいまではかなりの数が行われていました。1970年代に入るとそこからお見合い結婚と恋愛結婚のどちらだったかという数値が急速的に逆転していきます。ここ数年の数値としてはその差は既に開ききってしまってはいますが、まだ6%前後の数値においてお見合い結婚で運命の相手らしき人とめぐり合えて一つになれた、という人も居ます。しかしこうしたお見合い結婚をすることで問題が発生します、それは相手のことをよく知らないままに結婚してしまう人がお見合い結婚が盛んに行なわれていた戦後では通常のことだったのです。そんな相手が一体どんな素性だったのか、ということを知らないままに結婚してしまうと問題が生じてしまうような事態も起きてしまうのです。そんな当時のお見合い結婚における欠点として根を張っていたのです。

こうした展開がこのゼロの焦点内において起きてしまったために、禎子は夫である憲一を探しに行くことになるのです。そこから先は禎子が夫の出張先である金沢に訪れることで行方不明になった夫の捜索をして行くことになるのです。それについては先ほどお話した内容の簡単なあらすじとなっているので、ここでは割愛させていきます。

2009年作品の場合

2009年作品、松本清張生誕100週年を記念して作られたこちらのゼロの焦点について述べるとしたら、演者の広末さんが演技をしていることも影響しているせいなのか、この作品において禎子は影が薄すぎるという意見が多く見られます。この意見については私個人としては演技力を見比べるとしたら、確かに1961年代の時に女優さんとの演技力を比べたらその差がついてしまうのはしょうがないと思います。個人的に広末さんの演技している姿をほとんど見たことがないためこの作品だけなのでなんとも言えないですが、確かにあまり上手な演技をしているとは言えないかもしれません。ですがそれも脇を固めている役者さんたちが演技をすることに対して定評がある人ばかりで構成されてしまっているので、なおのこと見比べるとその差が浮き彫りに出てしまうのも影響しているかもしれません。

しかし元々何不自由ない暮らしをしていた禎子からすれば自分が出会う前の憲一たちとの過去を知らなかった立場にいたことを考えれば、元々知らなかった事を考えればこうした元の問題から一歩離れたところに立っていたことを考えれば、後半部分になるにつれて傍観者の立場になってしまってどうしようもないという意見もありますが、原点に遡って考えたら禎子のこういった立場になってしまうのはいたって必然的なことではないでしょうか。おまけに謎解きにしてもほとんど自分の妄想上で深層を探ろうとしているのに対しての描写も見ている人達には違和感を感じてしょうがないと言っています、確かに全体を通してみると禎子は謎解きみたいなことはしていませんしね。よく考えてみると突っ込みどころとなっている点は沢山ありますね、2009年版は。